吉原で中国人男性が狼藉っ!中国人の異民族への一般的な対応と残虐性
この回では敢えて支那人と書かせてもらいますね。
吉原で中国人観光客が日本人女性をモノ扱いしている記事がありました。
「テーブルの上に靴ごと足を載せるわ、目の前に灰皿があるのに、タバコを床の上にポイ捨てするわ。昔のヤンキーみたいに店のなかでもペッペッとツバを吐くし、信じられないよ」
店長は中国人観光客の傍若無人な振る舞いを、苦々しそうに愚痴った。
「女の子の扱いもとにかく乱暴。部屋に入っていきなり女の子に襲いかかり、服を引きちぎって裸にしようとした人もいました。あと、腕や髪を強引に引っ張ったり。こっちは金払ってるんだから何やってもいいだろ、と勘違いしているようなんです」
「冗談のつもりなのか何なのか、女の子の頭の上にタバコの灰を落としてきた中国人客もいました」
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181204-00000006-pseven-cn
「とにかく値切りがひどいんです。ウチの店は1人8万円とやや高級な方なんですが、『3人で入るから1人タダにしてくれ』と。あきれ果てました」
だが、決して金がないわけではない。
「身なりを見ると、日本人よりずっと高いものを着ていますよ。服も靴も、何十万円もするブランドものばかり。あと、友人同士でお金の貸し借りをスマホでやっていたのが印象に残りました」
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181204-00000006-pseven-cn&p=2
支那で生活したことがなく、支那にいる支那人と接したことがない人は驚くことでしょうけど、かの大陸ではこんなこと日常茶飯事です。身なりが良いから、大学を出ているからといって日本人と同じようなモラルを持っていると思ったら大間違い。面食らいますよね。
経済大国、爆買い、軍事大国…。
いくら図体だけ立派になっても中身は紀元前と変わっておりません。いや、支那大陸の歴史を見る限り、始皇帝が秦国を作る前の方が人民たちも比較的自由な発想ができていたのではないかと思われます。
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とにかく2000年間モラルが発達せず、いやそもそもモラルを持ち合わせていない漢民族です。女性に対する狼藉を見れば分かる通り、お水商売の女性をとことん見下しております。
売春婦を日常的に買う支那人男性、朝鮮系男性の多くは、女性に対して激しい暴力を奮ったり、屈辱的なことをする性癖があります。東南アジアや同じ支那国内でも売春婦たちは「支那人は乱暴」「朝鮮系の男性は暴力を振るう」とよく言っているそうです。
商売の女性には何をしたって良いと思っており、乱暴に犯してポイ捨てするのが彼らです。
男女平等、夫婦別姓制度と言っておりますが、根底には差別意識が強く、夫婦別姓については「女性などは我が家に入れたくないから苗字を変えさせない。子供を生むための道具」という意識があるからです。
日本は女性差別をしているから女性の姓を変えさせているなどと支那やサヨク連中は言っていますが、女性を我が家に迎え入れる気持ちがあるからであり、血の繋がっていない子供を養子に迎えたりする寛容さが昔からありました。
支那人の凶暴さや残虐性、捕虜をいたぶって愉しむ異常な性癖は今に始まったことではなく古代から綿々と受け継がれているのです。支那大陸の古代の歴史を見ても、人間の体を生きたまま生皮を剥いだり、手指を切断、両眼をくり貫く、耳鼻を削ぐ、人間を蒸し殺す、腰斬の刑など…日本にはない処刑方法や報復方法が庶民レベルでありましたからね。
過去記事で取り上げた通州事件、済南事件などはまさにそれです。
支那共産党の文化大革命で同じ民族であれだけ殺していたのですから、他民族、特に日本人に対しては更に残虐な行為に及ぶのは間違いありません。
1949年支那共産党が統一した後、チベット、モンゴルにも毒牙が。
勇敢に抵抗したチベット人僧兵のみでなく、罪のない遊牧民を捕まえ言語に絶する拷問と虐殺行為を働いていました。
チベット、モンゴルでの狼藉はこちらに詳しく書かれています。
チベットに舞う日本刀 モンゴル騎兵の現代史
中国とモンゴルのはざまで――ウラーンフーの実らなかった民族自決の夢 (岩波現代全書)
まず、内モンゴル自治区西部のトゥメト地域での実態を見てみよう。例えば、四家蕘人民公社では共産党書記の白高才は中国人たちを集めて、モンゴル人女性を逆さまにしてその陰部を縄で引き、大怪我をさせた。中国人たちは妊娠中の女性の胎内に手を入れて、その胎児を引き出した犯罪も働いた。中国人たちはこれを「芯を抉り出す」(挖芯)と呼んでいた。実際、ワンハラという女性を中国人たちは「民族分裂主義者」だと決めつけ、彼女に対して「芯を抉り出す」暴虐を実施した。手を陰部に入れて子宮にまで達し、四か月になっていた胎児を引き出した。
彼女はこの暴挙が原因で亡くなった。
内モンゴル自治区中央部のチャハル右翼後旗のモンゴル人たちは次のように回想している。<ドルジサンという女性の牧畜民がいた。ある晩、中国人たちは彼女を裸にしてから手と足を縛った。そして、刀で彼女の乳房を切り裂いてから塩を入れ、箸でかき混ぜた。鮮血は箸に沿って流れ、床一面が真っ赤に染まった。彼女はこのように十数日間にわたって陵辱されて亡くなった。>
このチャハル右翼後旗のあるウラーンチャブ盟では、計一六八六人のモンゴル人が惨殺されていた。
中国人が創出する「性奴隷」
近年、私はモンゴル人女性の性的被害状況について調査を進めいる。以下はフフホト市に住むモンゴル人の証言である。彼女は当時、ウラーンハダ人民公社に暮らしていた。
<私が住んでいた集落は五戸のモンゴル人からなり、九人の女性がいた。一九六八年二月のある日、中国人たちは片手に毛沢東語録を持ち、もう片手で鞭を持って私たちを叩いた。鞭が切れ、棍棒が折れるまで殴られた。親戚の二〇代の女性は殴られて流産したが、中国人たちは大声で笑い、喜んでいた。
モンゴル人女性は例外なく中国人幹部や解放軍の兵士にくりかえしレイプされた。あの時代、半径数十キロ以内のモンゴル人女性たちに逃げ場がなかった。
一九六八年の夏のある晩、彼らは私たち五人の女性を丸裸にして草原に立たせた。
私たちは両足を大きく広げられ、股の下に燈油のランプが置かれた。する、無数の蚊や蛾などの虫が下半身に群がってきた。このような虐待方法はその後、何日もつづいた。凌辱されている時、大勢の中国人たちがまわりでみて、笑っていたのである>
このように、中国政府と中国人たちはモンゴル人女性をまさに「性奴隷」として扱っていたのである。
http://smglnc.blogspot.com/2013/12/blog-post_8.html
東トルキスタン共和国(ウイグル自治区)の強制収容所で行われているという虐待、臓器狩り、虐殺…。過去の歴史を振り返れば漢民族たちが今やっていても不思議ではありません。
ディスカッション
コメント一覧
先週は中国人を総公司にちょいと案内し、その後は、観光って事で様々按配しました。勿論付き添いです。東京ではお楽しみの吉原ですが、今回は、中国人とわかってからの対応が以前より念入りでした。色々あるんでしょう。お風呂のお姐さんに聞いたら、この所、外人が多くなっているのは日本人が来ないからやむを得ず外人を受け入れるしかないと。この秋は、店に出ても客が着かない日も有ると。比較的客の入の良い川崎に移籍したりデリヘルに変わったりする泡嬢が多いそうです。ただデリヘルは最近19歳の子が殺されたり性病がお風呂よりヤバイそうで今回ついてくれた泡嬢は嫌だと言ってましたね。梅毒とか広がっている影響も有るでしょう。お風呂は、結構消毒に気を付けて居ますがデリヘルは、どうしても甘くなると言ってました。オリンピックで吉原も無くなるかもと泡嬢は真剣に心配していました。一時的に営業出来ないのかもしれません。すでに建物は建て替え不可らしくてリホームオンリーと。確かに老朽化しているよなあ。領収書も入浴料分しかくれなかった。伝統ある遊郭も消滅の危機のようです。
返事が遅れてしまい申し訳ありません!
吉原もずいぶん変わってきたんですね。知人が言うには外国人お断りの風俗が多く、中国人の客が来ても釣れていけなくて残念だとこぼしておりました。
あんなずさんな連中を連れて行ったらなでしこたちが何をされるかわかりません。日本人が低賃金すぎるからかなあ…飲み屋に行くサラリーマンが減ってきているわけですから、風俗となるともっとハードルが高そうです。
中国、その他の国からやってきた金持ち連中の梅毒、その他性病は怖いです。
オリンピックや国際会議などの国際イベントがあるとざっと閉店するところは日本も中国も同じですね^^;吉原には行ったことありませんが、日本の伝統が消えていくのは嫌なものです。なんとかもり立てていってほしいものです。